ニワカが語るイングランドの歴史と王室

はじめに

ニワカが語るシリーズ、通称ニワカタ。今回はイングランドの歴史についてザックリまとめました。イメージと異なり、実際は連敗からの征服と占領を繰り返されてきた歴史でした。

イングランドってどこ?

イングランドは巨大都市ロンドンを含むイギリスの南東地方に位置し、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4地方を合わせてイギリス=連合王国(United Kingdom)を形成します。4地方は微妙に不仲の部分があり、ときどき独立騒ぎを起こしたりしますが、個別の人的な移動交流は盛んです。国際組織ができる前に各協会が設立されていたため、サッカー・ラグビーでは各地域から独立4チームで参加しています。

先住民時代

イングランドのあるブリテン島とヨーロッパ大陸は6000年前の氷河期には地続きだったようです。紀元前には定住者がおり、遺伝学的な研究からはスペイン東南部の地中海寄り、浅黒い肌の民族との関係があったとの説があります。ストーンヘンジに代表される巨石文化を築いたようです。大陸からのビーカー人と融合し、土器と青銅器の文明を得ます。

ケルト時代(紀元前6世紀頃~)

大陸から鉄器を持ったケルト人が侵入し、ケルト文化が成立します。遺伝学的な研究では、先住民と同じくイベリア半島を起源とする民族のようです。スコットランドのサッカーチーム、セルティックは「ケルト人の」という意味です。レンジャーズは知らん。ケルト社会ではドルイドと呼ばれる神官が宗教的・政治的に大きな権限を持っていました。現代日本人の多くがイメージするドルイドはこちら。

ローマ帝国の支配(紀元前43年~5世紀)

カエサルの侵攻以降、イングランドは占領されてローマ帝国の属州ブリタニアとなります。ケルト人の一部は北のスコットランドや西のウェールズで抵抗し、北側の防衛線としてイギリスの万里の長城ことハドリアヌスの長城が築かれた時代です。ローマ勢力はケルト文化を持った住民を「ブリトン人」と呼ぶようになりました。

アングロサクソンとバイキング襲撃(5~11世紀)

体格が大きく力が強い、ゲルマン人の大移動とともにローマ帝国が崩壊し、ブリタニアから撤退します。代わりにイングランドを支配したのはドイツ北部の地名に由来するアングロ人や、武器の小型ナイフの名前サクスに由来するサクソン人などゲルマン系の民族でした。ブリトン人、戦いに弱すぎ。アングロ人=アングレアがいる土地という意味で「イングランド」が地名として成立します。さらにポルトガル語読みのイングレスがなまった結果、後世の日本では「イギリス」と呼ばれることになります。

アングロサクソンが支配する七王国の時代と呼ばれますが、北方系ゲルマン人のデーン人(デンマーク人の祖先)のバイキングも各地を占領します。漫画「ヴィンランド・サガ」に描かれている時代です。

フランス勢力の支配(1066年~1485年)

北フランスに居住していた北方系ゲルマン人のノルマン人が、イングランドを占領して王朝を開きます。海外からの軍事的な占領はこのときが最後です。北フランスのノルマンディー勢力のイングランド支配はノルマン朝、プランタジネット朝と続きます。

元々の北フランスの領土は欠地王ジョンの時代にほとんどを失います。ジョンが軍事遠征のため徴税を繰り返した事にキレた貴族たちが「勝手に税金取るなよ」と認めさせたのが大憲章(マグナカルタ)で、ここからイングランドでは王様ゲームに行動制限がかかります。イギリス王家の男子はヘンリー、ウィリアムなど、二世三世以降を名乗ることが多いのですが、このジョンが無能すぎて逆永久欠番、以降は誰もジョンを名乗る者はいません。世界史の無能で打線を組めば必ず名前が挙がるジョンとネロ、何処かのチーターどもが名乗るに相応しい名前です。

テューダー朝(1485年~1603年)

テューダー家の祖であるオウエンは、付き人だった未亡人のイングランド王妃キャサリンと事実婚の状態になり子供が生まれます。オウエンはウェールズ王族の末裔と自称していますが一介の使用人で、世界史に残る逆玉の輿でした。当時の人々がオウエンは胡散臭い、けしからん、持参金を辞退しろと言っていたかは不明です。イギリス版KKことオウエンの孫、ヘンリー7世はフランスでひろゆき化していた後に帰国、王位を争う薔薇戦争に勝利してテューダー朝を開きます。

ブリトン人の英雄アーサー王から名付けた長男アーサーは早世し、次男のヘンリー8世が即位します。スペインから兄アーサーに嫁いだ後に未亡人となっていた、キャサリン・オブ・アラゴンとヘンリー8世は結婚してメアリーが生まれますが、のちにローマ教皇に離婚を申し出ます。

8世「アーサーニキの嫁だから結婚無効にしてクレメンス」
教皇「だめです」
8世「じゃあ新しいキリスト教作るわ」

こうしてカトリックを離脱し、イギリス国教会が設立されて今に至ります。ヘンリー8世は合計6度結婚、うち1名を追放、2名を処刑したぐう畜でした。父に虐げられたメアリーは女王即位後に大量処刑を繰り返し、「ブラッディ・メアリー」のカクテルに名を残します。姉メアリー1世の後を継いだエリザベス女王、通称エリ女の時代にスペイン無敵艦隊を破り繁栄を迎えます。

ステュアート朝以降(1603年~)

エリザベス1世は生涯未婚でした。日本の天皇家と異なり、イギリスでは女系にも王位継承が認められています。親戚のスコットランド王を迎えてイングランド・スコットランド共通の王となったのがステュアート朝です。余所者かつ議会と敵対した結果、清教徒革命・名誉革命を経て、代わりにオランダから王を迎え、国王から議会に政治の中心が移行して立憲君主制が成立します。この後にドイツから呼び寄せた王の家系が現在のイギリス王室で、イギリスっぽいあの方々の元をたどると英語を話せなかったドイツ人です。

まとめ

・イングランドはローマ、アングロサクソン、デンマーク、フランスの順に占領を受けた。
・ジョンが無能すぎて王様の言うことは絶対ではなくなる。議会政治の基になった。
・ヘンリー8世が離婚したいから新しい宗教を作ってみたwww
・今のイギリス王室はドイツから来た王様の末裔。

雑談

Posted by ripple500